日本で有名な紋と言えば天皇家の菊の紋と徳川家の葵の紋が思い浮かぶと思います。
菊の紋=天皇家
葵の紋=徳川家
ですが多分私たちが何気なく一番目にしているのは、信長の肖像でお馴染みの桐紋なのではないでしょうか?
中でも特に身近なのが500円玉です(*’ω’*)キャッシュレスの時代とはいえ、お財布の中に500円玉があると嬉しいのは私だけでしょうか?
そんなコインのキング500円玉にも桐紋が刻まれています。
そして内閣総理大臣が記者会見なんかする時こんなの見た事無いですか?
どうでしょう?ちょくちょく目にするこの桐紋、菊の紋と葵の紋のふたつは紋と家が繋がりますが、桐紋は家の象徴である家紋というよりは、何やら権力的な象徴のにおいがしますね(‘ω’)
実はこの桐紋、もともと皇室の副紋だったそうです。
それが室町将軍へ与えられ、足利家も桐紋を使うようになります。
そして時の覇者織田信長も、様々な中世の権威を否定しながらも、足利義昭から「桐紋」を与えられ、身につけるようになります。
織田信長が本能寺の灰に包まれ、天下人となった豊臣秀吉もまた桐紋を使いました。
信長の頃は桐の花弁が中央が5、左右が3の五三の桐と呼ばれる紋を使用していたのに対して、秀吉は中央が7、左右が5の七五の桐紋を使うようになります。(現在の日本政府の紋も七五桐ですね)
秀吉は桐紋を豊臣流にアレンジし桐紋の価値が下がらないようにしたそうです。
こうして天下人達に愛され、政権者の象徴と言われた桐紋ですが、次代の徳川家康は葵の紋のイメージしかないですよね?
徳川家は世襲を絶対的なものにする為に、あえて葵の紋にこだわったのかもしれません。水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか~!!」「はは~っ」はあまりに有名ですね(*^^*)葵の紋を全面に押し出し徳川=葵の紋と民衆に刷り込みした事も徳川300年の功を奏したように思えます。
日本政府がいつから桐紋を使用し始めたかは定かでは無いようですが、明治維新によって政府が新たな紋章を求めた時、葵の紋は徳川、皇室は皇室、政権者に相応しい紋はなんだろう?と考えた時一番しっくりきたのが桐紋だったのかもしれないですね。
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