会津藩夢の跡**陸奥斗南藩と下北の旅**

歴史お散歩
人の世ならぬ処なりけり
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津軽半島から陸奥湾を車でぐるり、津軽半島からすぐ目の前に見える下北半島ですが、湾岸沿いを車で走る事4時間かかりました(;’∀’)

名古屋まで飛行機で1時間ちょっとで行ける事を考えると不思議な気分(*^^*)

7月に行ったので、かれこれ2カ月も経過して記憶もおぼろなんですが(*ノωノ)目的は斗南藩史跡巡りと恐山そして日本の秘境100選にも選ばれた佐井村の仏ヶ浦です♪

午前10時前に家を出て、午後3時に佐井村仏ヶ浦付近に到達!でもおかしい(; ・`д・´)ムムム

仏ヶ浦は字のごとくのはずなのに、道中超山なんですよ!には耐性のあるゆっさんでも躊躇するくらいのwwで、仏ヶ浦の駐車場についたのに!えーーーーー!!!こんな所に海なんてほんとにあるの???と思いながら山を下っていくと現れました!

現在は整備されてますが、陸上から近づくのが困難だった為、200年くらい前に大町桂月が「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」という人の興味を駆り立てる歌を詠んで

へ~佐井村ってところにそんなに凄い景色があるんだ~!

行ってみたいな~♪

と世の中に拡散されるまで、地元人しか知らない場所でした。

2㎞にもわたる奇岩群

極楽浄土を思わせる景色、岩にはそれぞれ仏に因んだ名前が付けられています。

岩窟にお地蔵さまと積石

下北半島には賽の河原に見立てた場所や、親より先に亡くなった子の供養のための積み石が所々にあります。津軽にはないのですが、厳しい環境で子供が先立つ事が多かったんでしょうね。

時間も時間なので遊覧船には乗らず、佐井村を出てむつグランドホテルへ(*‘ω‘ *)

このホテルは斗南藩士が開拓した斗南ヶ丘にあり、斗南藩史跡の近くなので、斗南巡りの宿はここ一択と言っても過言じゃないです。

ビジネスホテルでありながら併設してある斗南の湯は大浴場とつながっていて温泉も楽しめるうえ、会津松平家の展示物が結構な見ごたえなんですよ( *´艸`)大満足

ホテルにチェックインし、急いで夕飯をいただき(むつ湾育ちでホタテに厳しいゆっさんも大満足のホタテの刺身!おいしかった~)

日が暮れる前に斗南藩士上陸の地へ!

かなり寂しい・・・
ひとっこ一人居ない・・・
会津の方角を向いている記念碑
鶴ヶ城の石垣と同じ石

1869年、容保の嫡男容大に陸奥国3万石で家名存続が許された会津松平家。

幼年の容大を懐に大切に抱き、陸奥国入りした藩士たちは何を思って上陸したのかな?

3万石とは名ばかりの不毛の地で、藩士たちは飢えと寒さで命を落とすものが後を絶たなかったそうです。

娘を妾や遊女に売る者も出るほど困窮していました。

はじめは三戸藩と称していた旧会津藩ですが、藩の名を斗南藩に改名しています。

表向きは北極星より下は皆帝の国ということですが、「斗南」=薩長と闘うという意味が込められているそうです。

時間も時間だったのでホテルに戻ろうと思ったんですが、釜臥山の夜景がきれいだという情報を耳にし、釜臥山へ(*‘ω‘ *)アゲハチョウの夜景が楽しめるそうです。

山に入ると予想外に霊場感満載( ;∀;)日中ならいざ知れず、アラフォー女一人にはキツイw

それもそのはず恐山山地で、恐山の入り口に通じるそうで、いかにも~なお地蔵さまが突然現れます。

しかも前が見えない位の霧が立ち込めていて、いまにも何か出てきそうな雰囲気!

山頂付近にさしかかり、霧を抜けると

見事な雲海に遭遇
釜臥せ山展望台から

濃霧で夜景は見れませんでしたが、素晴らしい雲海に遭遇しました!展望台の職員の方から相当珍しい!という事で霊場感にビビッて帰らなくて良かったです(*‘ω‘ *)

充実した1日を過ごし、二日目は朝一で斗南藩士の墓地に足を運びましたが、写真は自粛しました。

むつは松平家、斗南藩をもっと前面に押し出すべきです、観光資源になりうるのに、開墾してくれた斗南藩士の墓地はちょっと朽ちていて手入れがされておらず胸が痛みました。彼らが開墾した地は今や下北半島一賑わいのある場所になっています。斗南はもっと前に出すべきです。

斗南史跡は近々にあるので一気に回ります!

秩父宮さまがいらした記念碑、勢津子さまのご結婚は長らく賊軍とされてきた会津藩の人々の心の重しを開放してくれたに違いありません。

この場所は藩士の邸宅跡になっていて、今では土塁が残るばかりです。

藩庁が置かれた円通寺。

容大公の玩具などが残されているらしいのですが、見れない感じだったので残念。

色々かき集めて展示すればいいのに・・・(会津藩の資料館はむつに無いそうで、大間の方にあるらしいです)

ここで斗南藩史跡巡りを終え、いざ最終目的地恐山へ!

車から降りるなり鼻を刺す硫黄臭が!入り口では脱衣婆と懸衣翁が出迎えて?くれます。

恐山は日本三大霊場といわれていますが、宮城の松島、山形の山寺(こちらも慈覚大師開山)は風化した塔婆やらあって霊場感満載だったのに対し、恐山は新しい建造物が多く、現代の方の祈りの場といった感じで、昔の物はほとんど見当たりません。

恐山は水子供養の風車が有名ですが、白い手ぬぐいもたくさん収められています。

蝋燭の灯も見えないような暗がりで、迷わずあの世にいけるようにと、真っ白な手ぬぐいを収めるんだそうです。

地獄めぐりの先には極楽浄土が

菩提寺で人生初の御朱印をいただき、下北の旅終了。

1泊2日ですが、かなーーーり濃い旅が出来ました(*^^*)同じ青森県でも、藩が違うので奥深い!

心が洗われるような旅でした。

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