会津藩士達は保科正之が制定した会津藩家訓十五箇条を年に3回拝聴することを習わしにし、この家訓は200年以上頑なに守られてきました。
会津藩の悲劇につながったと言われるこの家訓ですが、内容は、第一に徳川宗家!何があっても徳川宗家!藩主が何と言おうと徳川宗家!というのは最初だけで、さすが名君と言わしめただけあり正之の実直な人柄がひしひしと伝わってきます。
- 将軍家に一心に尽くせ、ほかの藩がどうとか関係ないから、もしそんなの関係ね~とかいう藩主が居たら、そいつは俺の子孫じゃないから言う事聞くな。
- 武備を怠けるな、武士道をわきまえ上下関係を乱してはいけない。
- 兄を敬い、弟を愛せ。
- 夫人女子の言、一切聞くべからず。
- 藩主を重じ、法をしっかりまもれ。
- 家中の風紀を保つよう励め。
- わいろを贈ったり媚びを売ったりしてはならない。
- 面々えこひいきしてはいけない。
- 心の曲がってる奴を家来にしてはいけない。
- 賞罰の決定は基本家老だけで決めよ、もしそうじゃない奴が混じってたら厳格に話し合うように。
- 藩主の近くに仕えている者を使って、あいつは駄目でこいつは良いとか言うのはダメ。
- 政治は利害で本筋を曲げてはいけない。会議で思ったことはどんどん議論してもいいが、私情は挟むな。
- 法を犯す奴を許すな。
- あの貯めてあるある食料は民の為の物だから凶作で民が飢えた時以外に使うな。
- もし、藩主として自信を無くし、遊び惚け、民や藩士を路頭に迷わせることがあったら何で自分が藩主で居られるのか考えよ、出来ないなら藩主クビだから蟄居な。
とまあ、ザックリ言ったらこんな感じなんですが、とにかく規律正しく家中の秩序を乱さない事を重点に、厳しくも卑怯な同僚から弱き者を守る優しさも込めた内容になっています。
現在の管理職も見習ってほしいですね(´・ω・`)ホント
飢饉に備え現在でいう備蓄米をしていた事や、藩主が藩主で居られるのは民が居て藩士が居るからだと自らの子々孫々に言って聞かせるあたりからも名君の匂いがプンプンします。
ただ、気になる項目ありますよね?
夫人女子の言、一切聞くべからず。
女子の皆さん怒らないでくださいね?
これは男尊女卑からくる発言ではないんですよ(‘_’)
この一文には女の嫉妬が招いた悲しいエピソードがあったんです。
正之の正室お万の産んだ媛姫は米沢藩30万石の上杉家に嫁に行っていたんですが、側室の産んだ松姫が加賀100万石に嫁ぐことになって、お万は嫉妬します。
このころの婚姻は将軍の許可制で勝手に出来ませんから、これは仕方の無いことです。
ですがお万の常軌を逸した嫉妬心は抑えられません。
何であの子が私の娘より良い所に嫁に行くのよ・・・と悲劇は晴れの日に起こります。
嫉妬に狂ったお万は松姫の祝言のお膳に毒を盛りました”(-“”-)”怖っ
ですがそれを食べたのは妹を祝いに里帰りしていた、お万の娘、媛姫。
媛姫は二日間苦しみ、18歳で亡くなってしまいました。
お万は側室の娘を亡き者にするつもりが、自分の娘を殺めてしまったのです。
ホントに女って怖いですね”(-“”-)”因果応報ってこういう事なのかな?
こんな事があったもんだから、正之は家訓にあんな一文を加えたんですね(‘_’)
さて、名君正之が徳川宗家と会津藩を思って作ったこの家訓がどう会津の悲劇につながったのか?
シリーズ次回に続きます。
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