事実はどうあれ( ;∀;)豊臣秀頼は秀吉の実子として現在に伝わってるのでとりあえずここは実子として話を進めていきます。
血縁者が少ない秀吉ですが、ある女性が現れるまで豊臣家は平和でした。
3歳年下の弟秀長を始め、秀吉の周りには有能な人物が沢山居たからです。
この秀長がま~良くできた人で、軍事面もさることながら、温和で優しく(*’ω’*)部下の話もよく聞き、秀吉にもバシッと意見を言えたので、危なっかしい秀吉のブレーキ役になっていたのです。
秀吉の好奇心や行動力、秀長の人徳、熟考。
秀吉の陽と動で天下を取り秀長の陰と静で維持していたと言っても過言では無いと思います。
実際秀長亡き後の秀吉は蛮行を繰り返すので、秀長が居なかったらもっと早く暴走していたかもしれないし、秀長がもう少しだけ長生きしていたら『あの』事件をなんとかくい止めて豊臣家は亡滅に向かうことは無かったかもしれません。
50歳を過ぎるまで子供が居なかった秀吉ですが(伝承は除く)、正妻の寧々とは寧々の家族の反対を押し切っての恋愛結婚で( *´艸`)遠慮なく夫婦喧嘩する程仲の良い夫婦でした。
秀吉にはたくさんの側室が居て、いろんな女性に恋文を送っていましたが、寧々に対する他愛もない手紙が一番多く、寧々から手紙の返事が来なくて寂しい心情を綴ったものや、体調を心配するものなど多く残されています。
秀吉は寧々を信頼し、寧々は秀吉を良く支えました。
また、面倒見が良い寧々は縁者や人質の子供たちを可愛がり、加藤清正など多くの忠臣を育て慕われます。
跡取りには秀吉の実の姉の3人の甥の内、長男の秀次と次男秀勝を秀吉の養子とし、3男の秀保は秀長の養子として、この3人が豊臣家の次世代を担っていくんだろうと当時の豊臣家の誰もが思っていたはず。
でも・・・(;´Д`)豊臣の悲劇が始まります。
秀吉が50を過ぎた頃、彼は人生の最大の恋に落ちます。
これが悲劇の始まりだなんて、幸せいっぱいの秀吉は想像できたでしょうか?
秀吉の茶々に対する強烈な恋慕は豊臣家に大きく影を落としていきます。
豊臣家の舵が天下から崩壊へときられた瞬間でした。
茶々が側室となってから秀吉は感情にまかせて多くの尊い命を奪っていきます。
あろうことか盲目になった秀吉の狂気はやがて将来豊臣を支えていく甥、秀次にも向けられたのです。
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